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マイケルが好きで好きで仕方なかったお話-2009/06/26

もちろん今でも好きですが、スリラー発売の頃からヒストリーを出したあたりまで、リアルタイムで熱狂してました。

僕は高校まで北海道の室蘭市という片田舎に住んでいました。
ネットがなかった当時は、当然音楽に関する情報、音楽そのものを手に入れるのが、わりと難しい状況でした。
そんな中、僕が幸運だったのは、東京に住んでいる父の姉が筋金入りの音楽愛好家で、定期的に主に洋楽の有名どころの新譜、および彼女セレクションで編集したカセットテープをこれでもかというくらい送ってきてくれていたということでした。
小学校低学年の頃から、片っ端から音楽を聴きまくれる環境にいたんです。
新旧問わず、相当な量の音楽と接してきたのですが、室蘭時代に最も好んでいたアーティストは、ビートルズ、スティング、そして、マイケルジャクソンでした(次点でニルヴァーナ、ジョージマイケル、デュランデュラン、REMあたり)。

マイケルの作品で初めて耳にしたのは、スリラーと、そのアルバムに入っていた作品群だったと思います。
スリラー、ヒューマンネイチャー、今夜はビートイット、ビリージーン、ガールイズマイン・・・頻繁に聴いていたような気がします。

年末には必ず父の実家(伯母が住んでいる)に来ていたのですが、よく彼女にねだって、レーザーディスクで持っていたスリラーのショートフィルムを観ました。

バッドも好きでした。
スムーズクリミナル、リーヴミーアローンを筆頭に、リベリアンガール、アナザーパートオブミー、マンインザミラー、ダーティダイアナ・・・中学にあがりたての頃、ほんとよく聴きました。
筆頭に上げた2曲は、ビデオクリップも大好きで何度も観ました。
この頃には、弟以外に学校の友達数人もマイケルファンだということがわかり、情報を交換していた覚えがあります(ネしさん、もーちょんと3人でよくつるんでいたよね?違ったっけ)

年末に上京したときには必ずといっていいほど、家族でディズニーランドに行っていたのですが、トゥモローランドにあったキャプテンEOは、好きなアトラクションの1つでした。あれを観てから隣にあったピザ屋で休憩する流れがあったような記憶があります。

中学に入り、バンドブームもあって邦楽も聴き始め、さらには洋楽ロックの大物たちが次々に台頭してきて、聴く音楽の幅がビョーンと広がりましたが(有名どころだと、上述のニルヴァーナ、REM、さらにはレニークラヴィッツ、復活したエアロスミス、ガンズアンドローゼス、ロックじゃないけどヴォーグ時代のマドンナ、JALのCMやってたジャネット、ビデオクリップが超かっこよかったアンヴォーグ、もちろんMCハマー、C+Cミュージックファクトリー、ジョージマイケルもセカンドアルバム出してたな。邦楽だと爆風、X、ゴーバンズ、たま、筋少あたり。ブルーハーツは大嫌いだった。)、デンジャラスの先行シングル、ブラックオアホワイトのリリースがTV発表された時は、親にお願いして夜中までTVを見せてもらい(うちはTV鑑賞に関する規制がとんでもなくきつかった)、その音楽はもとより、映像にも圧倒され、興奮しました。終盤の、どんどんヒトの顔が変わっていくシーンは特に衝撃的だったな。
そしてデンジャラス発売。
生まれて初めて自分のお金でCDを買ったのが、このデンジャラスでした。
ヒールザワールド以外は、全曲擦り切れるまで(CDだから擦り切れないけど、今CDの裏面を確認すると、無数の傷がある)聴きました。ちなみにまいけるの曲でもっとも嫌いなのが、ヒールザワールドです。
ジャケットのマイケルの絵を練習し、授業中は教科書の空きスペースに、マイケルの顔を何度も描きました。
そして待望の生マイケル。
伯母にぴあに並んでもらい、年末の上京に合わせてチケットをゲットし、東京ドーム公演に行きました。
決してよい席ではありませんでしたが、マイケルのお約束の登場シーンに全身の鳥肌が立ち、これまたお約束のヒューマンネイチャー歌唱中に泣き崩れるマイケルに大声援、さらにお約束の一般人との抱擁コーナーなど満喫し、Tシャツもゲットして、興奮冷めやらぬまま家路に着いたのを覚えています。水道橋から早稲田まで、歩いて帰ろうという話になるくらい興奮してました。

高校に入ってからは、友人にロキノン信者がいて、ものすごい影響を受けたのですが、バカにされながらも「一番はマイケルと言い張り、体育の時間にはジャージの下に上述のT[シャツを着込み、バスケとかやってました(今思うと赤面モノですが・・・)。
ブラー、オアシス、レディオヘッドを筆頭としたUKバンド、アラニスモリセット、ジーザスジョーンズ、EMF、プロディジー、あとほんといろいろなアーティスト、そしてフレディマーキュリーが死んだのを機にクイーンなど、色々聴いていたのですが、マイケルの作品は、決して色あせませんでした。ジャクソンファイブの作品や、オフザウォール、さらにその前のマイケルソロ作品を聴き出したのは、高校に入ってからでした。
なぜ片田舎のCD屋にあったのかはわからないけど、イタリアで発売されたマイケルのライブアルバムを買ったり、新婦は出ずともマイケル漬けでした。

大学に入ってから、ようやくリリースされたヒストリーもよく聴きました。
ジャネットと共演したスクリームでは、まったく衰えないマイケルを見ることができ(あれはビデオクリップも名作)、カムトギャザー、スマイルのカバー、名バラード、ユーアーナットアローンもよく聴きました。

そしてこの作品は、僕が購入した彼の最後のモノとなりました。
インビンシブルとか、まったく眼中に入りませんでした。
99年ごろから僕の嗜好が急速にクラブミュージックに傾倒しており、テクノ、エレクトロニカ、ハウス、ヒップホップ以外、ほとんど聴かない時期が続いたのもありました(例外として、あんちゃんに紹介されたくるりとかありましたが)。

ネットでニュースを読んでいると、いろんなヒトのマイケルへの追悼のコメントや、マイケルに関する評価が語られた記事がアップされています。

それがマイケルに対する賛辞だとしても、酷評・罵倒だとしても、やっぱりマイケルがマイケルだからこそのモノなのだと思います。

世界中で大きな話題になっているであろうこの訃報の中で、僕はただ、「マイケルが大好きだ」ということだけ書くことにしました。



最後に。
どの曲を紹介して終わろうか、とても迷うと思ったのですが、すぐに答えは出ました。
アルバム、デンジャラスに収録されている、ゴーントゥスーン(Gone Too Soon)です。
マイケルありがとう。お疲れ様でした。ゆっくりやすらかに眠ってください。
これからも大好きです。


  by gomid | 2009-06-26 14:17 | 音楽

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