名はmaroという。
maroは大学の後輩だ。年は一緒で学年は2コ下。僕が参加していたテニスサークルで知り合った。
ただ彼と意気投合したのはテニスを通してではなく、仲良くなったのもお互い気がふれたかのようにテニスをしていた時期ではない。テニスしかなかった大学時代に疑問を感じ、4年間締めっぱなしだった「やりたいこと入れ」の蓋を思い切って引っ剥がしてみた22歳の頃、彼が東京の郊外に3LDK(今考えてもありえないな)のマンションを借り、ウン十万円の電子ピアノ(当時はそれくらいに思っていたが正体はシーケンサー付シンセサイザー)をどすんと置き、それは大層優雅に暮らしているとの情報を得たのだった。ああそれって音楽のスタジオ兼合宿所ってことなのだなあと解釈した僕は、彼に僕バンドのキーボード担当兼スタジオ管理人就任を要請したのだった。当初僕バンドメンバーは7人でスタートしたのだが、2回目の顔合わせに集まったのは結局僕とmaroだけ。楽器を弾けない僕と、my heart will go onとI'm proudだけがレパートリーだったmaroとの必死の音楽活動とともに、奇妙で圧倒的な2人の関係は始まった。
3ヶ月に一度、ひどいときには半年に一度顔を合わせては、その時作成中の曲を見せ合ってお互い褒め合うなあなあな音楽活動であったにもかかわらず、ユニット結成2年目には9曲入ったアルバムを完成させ、友人にばら撒くという快挙というか愚挙というか乱心騒ぎを起こし、そんな一定の成果を残しつつの活動が、今日まで続いているのだ。
後にそのユニットは「プロジェクト」に格上げされ、ユニット活動を音楽だけに留めずに、映像・Web・食・投資に広げることとなり、僕とmaroの付き合いもより深くなっていったのだ。まあ映像と食はこれからなんですけどね。
僕も広く浅くなんでもやってみる、器用貧乏な趣があるタイプなのだが、それにしても彼の好奇心の広さと深さには畏敬の念を抱かずにはいられない。僕との深さの差は一言で表すと、全力で飛び込むか否か、ちょっとかっこよく言うと、リスクを背負うかどうかにある。元々maroの部屋に一つぽつんと置いてあった機材からスタートさせた音楽にしても、5年目に突入した今は機材が部屋を構成するまでに整備された。株投資にしても相当な資金を驚嘆すべきスピードと判断力でころっころと転がし続けている。
そんな彼の生き様は、僕が理想とするルームメイトにぴたりと一致しているのだ今のところ。
BGM-
Quruli/World's end supernova
ライブステージは世界のどこだって ってとこが泣けるんです。4つ打ちループがじりじりとテンションを上げていき、ベースラインがスイングして粘りまくる素敵なダンストラック。